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「ゼブラ企業」 と「 LOHAS」 (←久々に社長投稿)

久々に一筆、、、「ゼブラ企業」 と 「LOHAS」

・自らこのようなものと分からない身体の不定愁訴から不安になり、○○病と 命名診断され、腑に落ち、納得安心するように。
・自らの内に捨てられない必要な言葉たちが、でも、整理整頓出来ない
 取り散らかってた状態から、一瞬にして整理整頓され、重苦しい時間
 から解放されるように。

私にとっての
近年、成された「ゼブラ企業」という定義。

20年程?前にLOHAS( “lifestyles of health and sustainability” (健康で持続可能な、またこれを重視する生活様式) という概念(Word)が出現した時と
似たような感覚(喜びと悔しさ)を覚えた。

よくぞ、そのONE WORDに獏とした概念をまとめてくれた!という嬉しさ
と、それは会社やるなら当たり前のことじゃないの!?
わざわざ宣言しないとならないの?というある種のひねくれた感覚。

(但し、言葉や定義といったものは時間の経過や扱う者たちの理由で
いかようにも変容し、捻じ曲げられてしまうものなので、
必ずしも1年後、いや、半年後にも同じ感覚をもっているとは
自分でも断言できないが、少なくとも今の時点では是とすると。したいと。)

LOHAS出現時:
日本人なら普通にほぼ全員LOHAS生活してた時代があったでしょ?
という意味でアメリカに言葉を先取りされたことで日本の特許権までも
奪い取られたような悔しさ(※アメリカ先住民に対しては除く)

同時期、そのような団体も国内ででき、自らもそのような
組織に身を置いてもいたが、
時間の経過とともに、自然の成り行きで、先述の言葉の変容や、
却っての頑なな認識・活動、歪みを見聞きする事となり、
その組織からは脱し、敢えて、その言葉の使用を避けるようにもなった。
(言葉自体が古びて、ダサくなったって事。)

翻り
「ゼブラ企業」でございますとわざわざ表現しないとならないということは、
「ユニコーン凄い文化」「己ファースト文化」が蔓延していることの
裏返し、と。
「そっち側」が表で力(称賛対象)になっているという飽きれた現状を
逆に露呈していることの苦々しさ。。

日々常々、感じ、正直悔しい&侮蔑した思いを抱いてはいるが、、
もうそれも「極まった」(=行き詰った?)証なのでは?と。
そうか、極まったのなら、やっとUターンして
原点(本質)回帰の社会になり得ることを期待してもいいのか?と。
地道であることや、「普通や当たり前」のことを普通に当たり前に
やることの凄さ、承認・評価されることを目標にしない鍛錬に光を。。。

誤解を恐れずに表現すれば、
「悪性の」オス化した集団組織、社会構造概念とは
ゼブラは異にするのでは?と。( 初期のLOHAS組織のように。)

尚、LOHASは米国発の単語(定義づけ)らしいが、
日本語にちょうどいい一言で言い切れる単語がない?ので記載して
いるだけで、“無理やり遠い途上国から奪取したスーパーフード”様や
“ブランディングさせた横文字の体操”や“肩をいからせて大仰に優越性や
「正義」を振りかざし対立構造を生む概念理念”などではなく、、、

ベースを九州の田舎生まれの私が感覚として持つのは、
本当の意味のLOHAS(様のもの)が表すものはずっともっと昔から、
つい、或いは、数十年前の日本にも現存していた「我々の当たり前」を指すと
個人的には思っている。
当たり前すぎて却って敢えての「言葉」にも敢えての「定義」にも
なってない空気のようなものだったと思う。何気ない日本食や
「勿体無い」という言葉に代表される平素のことばや、自然と四季と
時間と人間の関係や。。
そのようなものから発現・発露される人々の労働や産物・建築・仕組み
など諸々の絡み・営み=結果、我々の生活のことではなかったかと。。
勿論「絶滅」しているとまでは思わないが。。。

前にもこちらの欄に記載した
「今だけ・金だけ・自分だけ」の現風潮とは立場を異にするものと。。。

共に共感し歩める仲間(お客様・取引先・協力会社・スタッフ)があれば、
是非、一緒に、本質・真・核の部分を見極めたいと思う。

世界を「腸内フローラ」のように。

“善玉菌ば増やさんばね~!”
(ゼブラにつき、白黒(ある種の清濁)併せのむにしても。。)

【記:代表】


2020.03.3社長つぶやき

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